スラムドッグ

あるSF小説を読んでいる。
実は中学生の頃に一度読んだ本なのだけど、確認したいことがあり、再読中。
一度読んだ本だし、一日で再読できるだろう…しかも中学生の頃に読んだ本だし…と高をくくっていたのだが。
読めない…。読んでも読んでもまったく頭に入らない。気がつくとなんのことやら分からなくなっていて、何度もページを戻って読み直す。
苦痛だ。
なぜ?
記憶だと中学生の頃は、数日で読めたはずなのに。
はたと気がつく。
作品のテーマが「ボーイ・ミーツ・ガール」なのだ。これか、これで読みづらいのだ。
 
中学生の頃、窮屈な自分の現実を一時忘れる為に、果てなく広い宇宙とボーイ・ミーツ・ガールは読書という行為の重大なモチベーションだった。
 
読書という行為は現在の自分を照らす。
もう自分の人生には、果てなく広い宇宙とか、ボーイ・ミーツ・ガールは要らないってことのようだ。
大人になるってことは“可能性未来”を失うということだ。もう、自分の人生の未来に“胸躍る宇宙への冒険”はあり得ないし、“ピュアな異性の姫との恋”もない。同じ意味で“サッカー選手になる”自分もないし、“世界で一番強い男”になる自分も無い。
自分の人生の未来に関係ない話っていうのは、自然と頭にシャッターが下りてしまう。
大人になればなるほど、どんどん勝手に頭が「これは自分には無いから却下」と決めてしまう。
“若い人とずれる”とは、そういうことだ。
 
映画『スラムドッグ$ミリオネア』を観た。
同じくボーイ・ミーツ・ガール。
なぜか観れた。
スラムの話。そうか、今の時代の気分を現してる。
自分にも「スラムの話」は必要だったらしい。